院長からのメッセージ

私自身も以前は、慢性的な痛みに悩んでました…

簡単ではございますが、私のプロフィールと施術に対する私の思いを書かせていただきます。

 

宮城県南部に位置する東北の湘南と言われる温暖な気候が特徴の亘理町。

そんな風光明媚な町で代々100年以上続く老舗かまぼこ店の次男として1973年5月18日に元気に産声を上げる。

インターハイにも出場するほどの足の速い母親の能力にも恵まれ、小さい頃から群を抜く運動能力を生かし、県内では有数のサッカー少年団でプレーを始める。

持ち前の運動能力を生かしたプレースタイルは、県下にとどろき、強豪校でもない県立での高校時代はチームメイトにも恵まれ、東北地区3位という輝かしい実績を残す。

その活躍が認められ、当時日本国内トップレベルである日本リーグに所属する富士通サッカー部(現:川崎フロンターレ)に入団。

輝かしい順風満帆のアマチュア時代とは違い、プロの世界ではケガに苦しみ、2度に渡る手術を経験する。

そのケガによって、思うような結果を出すこともなくひっそりとチームを退団。

失意の中、中学生のころに抱いていた体育の先生になる夢を実現させるために、体育大学に進学。

その傍らで始めたサッカーではなく、アメリカンフットボールの競技で古傷を悪化させてしまう。

まさか自分自身が、古傷が原因となって、歩くことも困難になるほどの慢性的な痛みによって、今までに経験したことのない絶望感を味わうことになるとは夢にも思いませんでした。

負のスパイラルの無限ループ

プロの世界ではケガに苦しみ、2度に渡る手術を経験した古傷が大学とはいえ、サッカーとは違う競技特性のアメリカンフットボールによって悪化させたことキッカケ…

酷い時には、痛みによって歩く事すらままならない状態…

その当時は、何の知識も経験もなかったため「病院に行けば何とかしてくれるだろう…」という淡い期待感で整形外科の病院に通院していました。

整形外科の先生は、レントゲンを診て「骨には異常はないね、炎症が収まるまでは運動はダメだよ」と言われ、湿布と痛み止めを処方されるだけでした。

医者の指示通りにしていていても、痛みが引いて練習を再開すれば、また痛みが再発し、また病院に行くの繰り返しでした。

まさにその時の状況は、負のスパイラルにどっぷりはまっていた出口が見えない無限ループ状態でした

「大丈夫だよ!また治ってプレーできるよ。」の一言で助かりました

今思えば、その時の心理状態は最悪でした…

「なんで俺だけが…」という思いでスタスタと歩く人たちを恨みに似た感情で見ていました。

あの頃の1年間は生命にかかわるようなケガではなかったけど、毎日が生き地獄のようで辛かったです…

そんな私を見ていた先輩が見るに見かねて、ある治療院を紹介してくれました。

まさに、千載一遇の出会いでした。

そこの院長は、しっかりと私の話を聞いてくれ、原因を解明し、私に合った治療法を提案してくれました。

その時に言ってくれた一言は今でも忘れません。

大丈夫!治ってまたプレーできるよ。

この一言で、未来に全く希望が持てないモヤモヤとした感情が無くなった瞬間でした

その当時、カラダを動かすことは好きでしたし、ケガという悔しい思いをしたことで、漠然としていた将来ではなく、ハッキリとした目標が生まれました。

その目標とは、お世話になった先生のように何らかの形でケガに苦しんでいる人を助けたいという志です

カラダのどこかに痛みや悩みがあると、笑顔になれないですよね

私には使命があります。

その使命とは…

痛みで悩んでいる人たちの笑顔を取り戻し、未来に希望を持てれるようにする!

なぜ私にそんな使命があるかというと、私はある日を境に、お客様のカラダを通して或ることに気付いたのです。

それは、人間の生命力に「自然治癒力」という素晴らしい力があるということです。

その自然治癒力のポテンシャルさえ引き出せれば、どんなに沈んだ顔をしたお客様でも笑顔にすることができるようになるんです。

だから、私の使命は

痛みで悩んでいる人たちの笑顔を取り戻し、未来に希望を持てれるようにする!

なのです。

そんな使命感を持っている私にアナタのカラダを任せてみてはどうですか?

アナタのカラダの不調を改善し、アナタが思い描く明るい未来にしてみませんか?

大丈夫!私におまかせください。

みゆき鍼灸整骨院